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web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

三好達治(2007年夏の旅より転載)

三好達治の詩集『南窗集』に、「友を喪ふ 四章」がある。
その冒頭の詩、
  首途
真夜中に 格納庫を出た飛行船は
ひとしきり咳をして 薔薇の花ほど血を吐いて
梶井君 君はそのまま昇天した
友よ ああ暫くのお別れだ・・・・・・ おつつけ 僕から訪ねよう!
さらに、四つ目の詩、
  服喪
啼きながら鴉がすぎる いま春の日の真昼どき
僕の心は喪服を着て 窓に凭れる 友よ
友よ 空に消えた鴉の声 木の間を歩む少女らの
日向に光る黒髪の 悲しや 美しや あはれ 命あるこのひと時を 僕は見る
三好が東京帝大に入学後の1926年、梶井らによって創刊されていた雑誌『青空』の同人に、三好が加わることによって梶井と三好は、出会った。
1927年には、伊豆湯ヶ島に転地静養中の梶井を見舞い、7月から11月まで滞在と年譜にはある。
その後1932年(昭和7年)3月24日、32歳で梶井は永眠する。
その時三好は、胸部疾患に心臓神経症を併発して、東京女子医専附属病院に入院中であった。
出会いから数年ではあったが、浅からぬ思いがあったことが、推しはかられる。
今私の前に、図書館から借りてきた「現代日本文学全集43 梶井基次郎・三好達治・堀辰雄集」がある。昭和29年5月筑摩書房発行の初版本である。
梶井、三好、堀と三人を並べると、何かしらひとつの、ひじょうに濃厚な、文学的香気ともいうべきものが立ちのぼってくる。
じっさい、本を開いて、活字の形が目に入るだけで、むせかえるような思いが私を襲う。
『抒情の論理』(吉本隆明・1963)所収の「『四季』派の本質-三好達治を中心に-」の中で吉本は、
戦争の現実に顔を向けることを強いられ、前途はどうせ無いものと思い定めていたわたしは、まったくかんがえも及ばない世界を展開してみせている「四季」派の抒情詩を前に、私たちはとうていこんな平安な生涯をおくれまいが、こういう人生や自然の感じ方があっても悪くはないではないか、とおもっていたのである。
と述べている。
この文章自体は、三好達治に対する批判的文章なのであるが、「三好達治を中心とした」「四季」派に対する感性的とらえ方は、私(たち)とさほど離れてはいないだろう。
吉本のこの文章の初出は1958年であり、それは私の生年であるが、私が三好達治や立原道造らの詩に心奪われる思いを持った十代後半、「前途はどうせ無いもの」という思いは針の先ほどもなかったが、「まったくかんがえも及ばない世界を展開してみせている」詩に、まるで真空に吸いつけられるように引き寄せられていた。
この大阪旅行の「お題目」を考えていたとき、三好達治が大阪生まれであることを知った私は、彼らの「抒情性」の何らかを探る旅にしようかと考えた。
三好の詩を読み、自分の中にある大阪のイメージと重ね合わせて、旅の構想を練ったが、何もつかむことはできなかった。
その抒情性を、「昭和モダニズム」と言うことも可能であるかもしれない。
そして、大阪の本質は「モダニズム」である(レトロな意味でも)と言うこともできる気がする。
しかし、三好達治の詩の雑ぱくさが、それであるとしても、それが大阪の本質なのか、あるいは、三好達治の詩を大阪という土地柄が生んだのかということになると、何とも言えない。
大阪を歩いても、たった一回限りでは、土地柄と詩人個人の抒情性とのつながりは見いだせない。
これは、最初の予感どおりであった。
私は、三好達治も、大阪も、とらえそこなっているのだろう。
しかし少なくとも、芭蕉が息を引き取ったという感慨も、三好達治に関しては感じ得なかった。
それは、梶井基次郎に関してもだった。
私は、大阪に関して、旅から帰った今も、何も知ってはいないし、感じ取ってもいない、ということが本当のところなのだ。
生まれた土地が、その人の何らかの傾向を規定するということは、漠然とうなずくことはできるが、いざそれを説明するとなると、困難を覚える。
ましてや文学作品を、作家の出生地が規定するかということについては、関係ないというありきたりの結論しか出せないだろう。
織田作之助にせよ、作品の舞台が大阪であるということだけが(登場人物の性向も含めて)、よりどころであり、表現者としての本質が何によって規定されているかという問題になると、まるで血液型占いのような、いいかげんな頼りなさに行き着かざるを得ないのである。
旅を計画し始めたとき、、三好達治の詩の拠って立つものが大阪にあるのか探ろうと考え、その詩を読み返した。
繰り返し読みながら、この抒情性に戻ってはならないのだという思いが、私を繰り返し襲った。
理由はわからない。本能的な、皮膚感覚というべきものである。
先ほど「三好達治の詩の雑ぱくさ」と言ったが、その「雑ぱくさ」とは「庶民性」と言ってもいいように思う。
梶井の死を悼む詩のようなものから、高度な文学的感性や技巧的知性に彩られたものまで、足の裏は庶民性から一ミリも離れていないことがわかるだろうか。
私が戻ってはいけないと感じた抒情性とは、そこなのかもしれない。
これは、私の極個人的な問題である。
個人的問題を読ませて、ごめん、である。
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