焼き鳥の串をめぐる論争がSNS上でかまびすしいそうだが、ネット評論家がこの論争の白黒を探ろうとしていたりするが、どうでもいいというのが本音のところ。
焼き鳥の串とは、調理するために必要なのか、食べるために必要なのか、味に影響を与えているのか。
まさか串もいっしょに食べろというわけではないのだから、食べる前に外すので、それが口元なのか皿の上なのか。口で外すのか、箸で外すのか。
せっかく丹精込めて串に刺したのだから、皿の上でばらばらにしてくれるなというのが調理したがわの意見で、皿の上で串から外した方がみんなが取り分けやすくてよいというのが食べる側の論理。
せっかく吟味した革で丹精して作ったカバンだから、そんな汚れたものは入れてくれるな。何を入れても使う側の勝手じゃないか。
作り手と使う側の論理のすれ違いはいつもつきまとう。
今回の議論で面白いと思うのは、議論の正当な決着をつけようとしているところだろう。
美味しんぼのように、わさびを醤油に溶くのは正しいのか正しくないのか。
答を伝統に求めれば、醤油を使うこと自体が正しくないことになるし、わさび自体を大切にするのか、食べやすさや好みを大事にするのかと、議論はとどまらないだろう。
今回の議論で面白いのは、マナーづけの方向がちらついていることだ。
オレはそれはいやだ、こうした方が合理的だと、床屋談義の域を出ないものが、ネットによってより広範囲なマナーとなっていくのかどうか、おもしろい。
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