自分以外の生存を、あるカテゴリーに押し込めようとすることは、
自分自身をまた、あるカテゴリーに押し込めることである。
まるで居心地の悪さからくる窮屈さが、自分のアイデンティティーであると思い込んでいるように。
自分のジェンダー/セクシュアリティから、自由であっていいんだよ。
あるときは「男」であったり、あるときは「女」であったり。
ちんちんがあるから「男」であらねばならないことはないし。
「男」であったり「女」であったりするのが、自分なんだよ。
「自分」ですら、「自分」であったりなかったりする。
「本当の自分」は、どこにもない。
「自由」って、「自分」からも自由であること。
ということは、「他人」から自分を規定されないこと。
私たちは、ついふらふらと「他人の規定」を自己規定にしてしまう。
そうして、私たちの歴史が形作られてきた。
大人
子供
男
女
人種
「規定」を外れたところで、私たちの存在は保障されているはずだ。
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