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web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

『安藤忠雄の都市彷徨』プロセスの建築

そこにあるのは、ロディアという一人の男の作ることへの執念だけだ。それは誰にも理解されることのない、言い換えれば、一人一人の魂の奥底に潜む「個人の叫び」と言ってもいいだろう。
 この個人の叫びをひたすら押し殺してきたのが近代である。近代は個人の個性を分散し、切り捨て、全体的な方向に向けることで成立してきた。
安藤忠雄『安藤忠雄の都市彷徨』プロセスの建築

王→神→人
という具合に「近代」は誕生した。
王権→神権→、ともってくると次には当然「人権」が来る。
神を否定し、個人主義を賞揚することが、近代の特徴であると説くのが多くの立場のようだ。
安藤忠雄の言説はそれとは異なり、個人を押し殺してきたのが近代だというように読める。

近代=個人主義と考えるときの行き場のない感じを、安藤忠雄の言葉は解いてくれるように思う。

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人の

人の人生にコミットするな。


歯医者から

歯医者から帰って夜のハンバーグ


夢のような夢

夢のような夢を人はみようとしている
わたしは夢のような夢を生きている

iPhoneから

嬰女児(おさなご)の

嬰女児(おさなご)の戒名なくて曇梅雨

妻またぐ

妻またぐ足当たりけり梅雨の入り

子を叱り

子を叱り頬ずりをする六月夕

ジェンダー/セクシュアリティ

自分以外の生存を、あるカテゴリーに押し込めようとすることは、
自分自身をまた、あるカテゴリーに押し込めることである。

まるで居心地の悪さからくる窮屈さが、自分のアイデンティティーであると思い込んでいるように。

自分のジェンダー/セクシュアリティから、自由であっていいんだよ。
あるときは「男」であったり、あるときは「女」であったり。
ちんちんがあるから「男」であらねばならないことはないし。
「男」であったり「女」であったりするのが、自分なんだよ。

「自分」ですら、「自分」であったりなかったりする。
「本当の自分」は、どこにもない。
「自由」って、「自分」からも自由であること。
ということは、「他人」から自分を規定されないこと。
私たちは、ついふらふらと「他人の規定」を自己規定にしてしまう。
そうして、私たちの歴史が形作られてきた。

大人
子供


人種
「規定」を外れたところで、私たちの存在は保障されているはずだ。

また夜の

また夜の 香りのする 春が来た

傷(きず)

人は自分がしたのと同じ方法によって傷つけられるが、
自分が傷つけられたのと同じ方法によって人を傷つけるのだろうか。

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