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web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

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無題

 母のいぬ夜は子といる朧月
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春嵐の

今日は何か月(?)ぶりかの、丸一日休日だった。
朝6時半頃、風の音で目が覚めた。
電線の鳴る音がピュウピュウと聞こえた。
7時前にベランダに出てみると、風は小止みになったようだが、あたり一面がかすんでいる。
ウォーキングする中高年夫妻がいる。

どうやら黄砂だったらしい。
黄色くはなかったのだが。
白く霞に包まれた朝だった。

日が高くなるとよく晴れて、久地SAにゴボウ天そばを食べに行き、南原ダムへ行き、ガラスの里へ行った。
可部のイズミは小さくさみしく、人も少なかった。
せっかく買ったのだが、ホタルイカのボイルが悪い臭いがしたので、妻が捨てた。

春嵐の止みてのちなる寒さかな

桜咲き

桜咲き初めコンビーフ買う夜のスーパー

沈丁花香る

沈丁花香る寒さも昼の春

山々に

山々に三月の雪はだらにてうぐいす鳴き初む夜明けかな

桃の花

桃の花散りて阿修羅の足元に

良き音の雨


良き音の雨降りて沈丁花香る

去年はなお

去年(こぞ)はなお 香らざりし沈丁花 今年は雨のベランダに咲きて

また雨の

また雨の 予報あたりて 沈丁花
また雨の 予報あたりて ベランダの沈丁花
 

延引された夢

「道具」は私たちに夢を見させる。
たとえば、車を持てば、F1レーサーにでもなったつもりになることができる。

PCを持てば?

PCの、特にコミュニケーション機能に限ってみれば、
それは言葉に、あるいは言葉のみに、依拠している。

PCを持てば、私たちは、言葉を綴る人間、作家にでもなったつもりになることができる。
できる、は、それを容易に通り越す。
キーボドを打つだけで、私たちは作家になっている。
しかしそれは、PC以前の作家とは、多く違っているはずだ。
それでも私たちは、言葉によって我が身を紡ぐ人たちと、それほど違わない所にいるという夢をみている。

それほどPCの機能が、私たちの願望に沿っているということだろう。

私たちは「作家」ではない。
だから「作家」ほどに、言葉の持つ力(攻撃性)に自覚的でない。

夢とは、私たちに無自覚であることを強いる装置である。
そしてそれは、私たちに快楽の中にいることを強いる装置でもある。

その快楽や無自覚が、自分ではないもの、によってもたらされていることに無自覚であることを、
私たちは知っているのだろうか?

夢がいつまでも夢であることを、私たちは望む。
それが夢であることを、私たちはいつでも知っているのに。

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