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web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

「ことば」という「もの」

私たち人間は、なぜ、「意識」とか「精神」、新しいところでは「クオリア」というものが「ある」と思うのだろうか。
猫もものを見、聞き、温度を感じ、味を知り、している。
私たち人間が、「意識」(etc.)があると思ってしまうのは、「ことば」があるからではないか。
もう少し正確に言えば、「ことば」を使う能力があるからではないか。

そこ、あるいはここに、何かがあると感知するのは、そこにある何かを「客体化」するから可能になるのであり、「客体化」に大きな役割を果たしているのが、「ことば」であると私は思う。

前回「ことば」について書いてから、次を書きつぐのにずいぶん手間がかかった。
「ことば」を「ことば」によって語るのは、ずいぶん喧しい作業だ。
まるでハウリングのように、本体が見えているのに、聴き分ける・近づくのに、手間がかかる。
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