「ことば」というものは私たち人間にあらかじめ備わっている能力・機能のように考えられているフシがあるが、人間に備わっている能力・機能は、正確に言えば、「ことば」をあつかう能力であろう。
私たちは「ことば」で考え、「ことば」で認識を完了するから、ついつい「ことば」は私たちの中から、外に出ていくもの、あるいは逆には、他人の中から出てきたもの、のように考えていがちだが、「ことば」というものは、私たち人間に生まれつき備わっているものではない。
たとえば、食餌・排泄・呼吸・生殖・睡眠などといった能力・機能は、大抵の場合訓練される必要はないし、これらの能力・機能に関して、種族・歴史、あるいは個人の差はまずないと言って構わないだろう。
つまり、これらの能力・機能は、私たち人間に生まれつき備わっている能力・機能だからである。
ところが、「ことば」というものに関しては、ある期間の訓練がなければあつかう能力・機能が備わらないし、言語そのものが地域や歴史によって異なっている。
だから、「ことば」というものをあつかう能力・機能は私たちに生まれつき備わっていると言えるが、「ことば」というものそのものは生まれつきのものではない。
しいていえば、「ことば」とは「道具」の一種であると言っていいと思う。
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