十二年前だったか、尿路結石に罹ってようやくの思いでたどり着いた病院で撮ったレントゲン写真を見たとき、
背骨や骨盤、腎臓と尿管の映像が、あまりに型どおりであったことに、なんだか憑き物が落ちたような感じを受けたことがあった。
あたりまえといえばあたりまえの映像だが、その時まで自分がそのような構造をしていることに思いが至ることがなかった。
してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな(「無常ということ」小林秀雄)
知識や知見として、人間とはこんな形をしていると、私たちは知っているのだが、
自分がその形をしているとは、まったく意識することなく私たちは生活している。
知識と、実感あるいは自己認識というものは、このようにまで乖離しているのだろう。
その乖離が、人間は一種の動物であるという小林秀雄の感懐に重なり合う。
私たちは、ごく些細な差異を見つけて、おのれの独自性を主張したがる。
そういう動物なのだろう。
まるで、縄張りを主張するように。
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