芥川龍之介が大正14年4月に発表した、ごく短い作品に「詩集」がある。
概要をここに記そうとすれば、全文を引用する方が短いくらいであるが、
ごく簡単に言うと、「彼」の発表した詩集は一冊も売れず、やがて札幌に運ばれ、
林檎にかける袋となって日の光に透かされて、「彼」の詩が浮かび上がる、というもの。
「蜘蛛の糸」や「杜子春」について考えたときに、曖昧なままであったことがある。
言うべきことと、言わざるべきことについて。
カンダタが口にしたのは、彼にとっては言わねばならぬことであったが、
倫理・道徳的には言ってはならぬことであった。
杜子春が叫んだのは、彼にとっては言ってはならぬことではあったが、
倫理・道徳的には言わねばならぬことであった。
芥川が描いたのは、倫理・道徳の勝利であったのか。
このふたつの作品を、道徳として読む者は、それぞれの作品の最後の場面を、
あえて意識的に無視しているとしか思えない。
「やがて犍陀多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、
悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。
自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、犍陀多の無慈悲な心が、そ
うしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、
御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。」
この「蜘蛛の糸」の最後の場面を私は、「無慈悲」であると前回述べた。
その感想は変わらないし、その読み/感想が間違っているとは思えない。
「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子が罩《こも》つてゐました。
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇はないから。」
鉄冠子はかう言ふ内に、もう歩き出してゐましたが、急に又足を止めて、
杜子春の方を振り返ると、
「おお、幸《さいはひ》、今思ひ出したが、
おれは泰山の南の麓《ふもと》に一軒の家を持つてゐる。
その家を畑ごとお前にやるから、早速行つて住まふが好い。
今頃は丁度家のまはりに、桃の花が一面に咲いてゐるだらう。」と、
さも愉快さうにつけ加へました。
この「杜子春」の最後の場面に対して、
> 「桃の花が一面に咲いてゐる」「泰山の南の麓」の「一軒の家」は極楽なのか。
と私は書いたし、その考えはまだ捨てていない。
芥川にとって、倫理・道徳に従うことは、彼の敗北だったのではないか。
しかし、「或阿呆の一生」の「五 我」にあるような放埒の世界に憧れながらも、
この章のモデルである谷崎潤一郎のようなインモラルな作品には向かえなかった。
同作品の「九 死体」にはもっとあきらかに、芥川の性向が描かれている。
「この頃は死体も不足してね。」
彼の友だちはかう言つてゐた。すると彼はいつの間にか彼の答を用意してゐた。
――「己《おれ》は死体に不足すれば、何の悪意もなしに人殺しをするがね。」
しかし勿論彼の答は心の中にあつただけだつた。
芥川は、生来インモラルにあこがれる性向を持ちながら、
インモラルになれなかったといえるのではないか。
そうすれば、「詩集」に描かれたような、自らの言葉が世に行われないことの幸福。
誰の目にも触れずに、日の光に、裏返しに照り輝くことは、
世間に対する敗北であると同時に、
自分が世間的な倫理・道徳に犯されないことへの賛歌であったといえないだろうか。
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