宇宙からの画像を見て、人間のちっぽけさを感じること。
あるいは、この地形の起伏の中で格闘する/諦めること。
どちらが、わたしとして、正当なことであるのだろうか。
地上のさまざまな争いを退けるために、自分がちっぽけな存在であることを認識することは、
他者もまたちっぽけな存在であることを強いる。
他者に強いない存在の仕方は、わたしを孤独へと解放する。
わたしは強大であり、わたしは微弱である。
わたしは存在し、わたしは存在しない。
なぜ、宇宙や世界との一体感を、彼らは強いるのであろうか。
宇宙から見ると平坦に過ぎない起伏を登り降りするとき、わたしは困難の中で、呼吸する。
わたしは生きていて、わたしは生きていない。
腰をおろした斜面のわたしの足下の、砂の粒とわたしと、どちらが貴重なのであるか。
すべての判断は、わたしが貴重であることにあらかじめ結論づけられている。
わたしが貴重であることの判断は、わたしが砂の粒とどちらが貴重であるか判断できないことによって、証明される。
手を振る。
わたしの目に映らない何かにむかって。
わたしが目に映らない何かにむかって。
毎日水を飲むように、手を、わたしは振っているようだ。
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