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web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

にかを、間隔を置いて連続しているわたしの思考は

連続している思考は、間隔を置いてわたしの
目のようなふりをして、避け始める、なにかを。
間隔を置いてわたしの目のようなふりをして
目のようなふりをして、避け始めるなにかを、
にかを、間隔を置いて連続しているわたしの思考は

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ネット時代、?
PC時代、?
の私たち人間は、じつは、原始時代の退屈さと同じような退屈さの中にいる。
同じものを一定の時間見ている私たちは、それを見ていないと同じことと感じる。
ネット上の情報は、けっきょくは、たんなるディスプレイ上のブリッツに過ぎない。
そのブリッツの点滅によって、私たちは何かを見ていると思い込み、
見るという能動的行為は私たちの思考という行為と、脳的に同じであるために、
ブリッツによって私たちは何かを考え、思考していると、
思い込まされている、脳の構造。

ネットの中に事実や真実はない。
なぜなら、わたしは(そしてあなたも)ネットのない時代を過ごしてここまできているのだから。
・・・・たとえば新生児、乳児の時・・・・・

考えるという行為が、見るという行為から乖離するときはいつなのだろうか?
見るという行為(体の動き)が、わたしに考えているという身体感覚を与えるのはなぜかと、
わたしの行為を分離して感じることができるのは、いつ?


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