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web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

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抽象化と民主化

たとえば砂漠の水のない状態で、一人はオレンジジュースが飲みたいと言い、一人は紅茶が飲みたいと言い、もう一人はスポーツ飲料がいいと言う。
このときに、ではとりあえず飲める水を捜しましょうというのが、抽象化。 
ネットの世界になって、世界はもう一度具象の世界をくぐり抜けなければならない。
ネットによる民主化なんて言うのは、ネットを牛耳っている世界の言い分に過ぎない。
世界の電源、コンセント、を握っているのは俺だ、っていうこと。
コンセントを壊そうというのが出てきてもおかしくはない。
それも含めての、抽象化だろう。
そもそも民主化というのも、抽象化の極致の一つだし。
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普天間・辺野古

あまり広がりもなく、深考もせずに書くので、どうかと思うが。

普天間から辺野古へアメリカ軍基地を移動するのは、いっぱいいっぱいの棚の上の塩壺を右端から左端へ動かすに過ぎない。という個人的感想がある。
いや、右端だったらコンロの上に落ちたら危ないが、左端だったらゴミ箱に落ちるだけだからまだしも安全だ。という議論もある。

もしこれが、自衛隊基地だったらどうなのか。
戦後沖縄はアメリカ軍の統治下に置かれ、「本土復帰」しても状況は変わらなかったと言っていいと思う。

現在の安倍政権は何を目論んでいるのか。
集団的自衛権といい、基地問題といい、これらの事象が日本の全き独立にどれほど関与しているのか、いまだはっきりしてこない。
安倍政権は、あるいは安倍晋三自身は、日本の完全独立を目論んでいるのか。
右端の塩壺を左端へ動かすことにある意味が、見えてこない。
問題は、棚がいっぱいいっぱいであることではないのか。

沖縄の反対論は、日本の独立が見えてこない、アメリカ軍統治が戦後70年経っても続いていることへの潜在的感情に基づいているのではないか。
「本土」にいる私には、基地移転反対の声しか伝わってこないが、某国陰謀論はともかく、沖縄は日本であり、日本であれば日本が守るのが筋ということだろう。
「本土」にいれば、アメリカ軍統治の実感は遠くなってしまっているが、実際の制空権、訓練空域等、実際にはアメリカ軍統治は続いているとしてよいと思える。
沖縄はそのアメリカ軍統治の密度が高いだけに、敏感に感じざるを得ないのではないか。
軍事的戦略的地理条件もあるが、日本全土のアメリカ軍統治の密度を均一にしたとき、サンフランシスコ条約で日本が再独立したという嘘がさらけ出されるのを、政権は恐れているのではないか。

アメリカは太平洋戦争終結後から、日本を文化的にもアメリカの属州に化そうとしてきたが、どうもそれはうまくいっていない。
確かに演歌はニューミュージックに駆逐され、大相撲は芸能からスポーツへと位置づけが変わったかのように見えるが、日本人・日本の文化によって育った人々のメンタリティは、実はほとんど変わっていないと思える。

ここから、大衆歌のニューミュージック以前・以後の対比から、そのことについて論考する。
さらに、安保反対運動の奇妙なねじれに対する個人的感想も述べてみる。

弟逝去

弟逝去

満潮の夜や鴨はどこで寝る

愛猫去りて

猫去って淋しくなりし庭の菊

主は

主は死なねばならない
キリスト、イエスによって

という言葉が聞こえた。
帰宅のバスの中、ほんの1・2秒のうたた寝の中で。
ペットボトルをつぶす音がして、私は目がさめた。

風評・・・福島

「美味しんぼ」の福島の件だが、
風評だ、真実だ、という議論にもなっていない喧噪に、
やがて人格批評に落ち着くという、お決まりのコースをたどったように思う。

広島も長崎も、69年前「風評」にさらされたわけだが、
入市被爆といわれる被害のことを考えると、
首相も風評と言い、断定的な物言いをする学者の言を聞くと、
健康な若者が、放射能障害で亡くなり、年寄りが無事であったりしたことを、
何ととらえればよいのか。

事故当時の枝野の「直ちに健康に影響があるわけではない」という言葉が、
たんにパニックを防ぐだけの言い逃れであったことを思うと、
福島の放射能障害を風評と言うのは、政治的判断であると考えるのがよいと思う。

被爆2世として生まれた私が、健康に不安を感じるとき、
それが原爆のせいであるのかないのか、
断定的にイエスともノートも言えない不安がぬぐい去れない。

広島も長崎も、健康被害は「確率的」に生じたのである。
たまたま「くじに当たった」者を見ぬふりをして、「風評」と断じても、
福島、広島、長崎で生きる者たちに、決定的な安心はもたらさない。

残り香に

残り香にバラの遅速を愛す哉

残り香に薔薇の遅速を愛する夜

ゆく人に

義父逝去

ゆく人に匂いうつして桜散る



ゆく人に匂いうつして桜舞う
ゆく人の匂い芳し散る桜

鳥嫌う

鳥嫌う主の庭や梅の花

水温む鴨も名残の藻刈りかな

OSアップデート

"7"から"8"へというわけでもなく、"XP"から"7"へというわけでもなく、
"Vista"から"7"へという、何で今頃感のアップデート。

じつは3,4年前に一度やったんです。
でもいきなり"Professional"へのアップデートで、わけもわからずクリックしたので、
"新規インストール"やらかして、すべて真っさらになったのです。
やれやれ。
リカバリーして、”Vista”にもどして、それきりになっていたのです。

でもこの前、itunesをアップデートすると、おかしな具合になってしまって、
それ以前から、noatiklがウインドウが戻らなくなったり、
adobe lightroom体験版がインストールできなかったりで、
もう潮時だと覚悟して、再挑戦したというわけです。

今回は”Home edition”を"上書きインストール"、しっかり確認しました。
でも、"何か"が引っかかって、インストールが続かないんです。

起動時にランタイムエラーが出ていたので、
それで、ネットでエラーの対処を調べると、itunesの何かが引っかかっている。
itunesがきっかけでアップデートを思い立ったのに、
itunesのせいでアップデートができない。
itunesと関係プログラムをアンインストールして、何とか正常化した。
ならそれでいいじゃないか!
いやいや、そうじゃなくて。その他のためにも、続けましょう。

18時前から始めて、環境設定の引き継ぎやら何やらで、4時(AM)までかかりました。
まあPCがひとりでやってたんですけどね。

その後たまりにたまったアップデート更新とか、しこしことひとりでやってもらいました。

職場のPCが"7"なので、違和感は全然なし。
あとちょこちょこっと起動しないプログラムを何とかしないといけない。

何てことない記事ですが、最近書き込んでなかったので、広告消しのために書きました
あ、いや、
近況報告です。

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