見えないものは見えない。見えているものも見えない。
数日後の夜、入院中の父が錯乱しているので来てくれと、病院から連絡が入った。
妻と二人で行くと、どうも父の頭は昔の中にいるようで、興奮している。
妻になだめられている父を前に座って、流れ出す涙をそのままにしていた。
そのとき自分が思っていたのは、父が格好いいということだった。
何かに腹を立てている父の顔は、昔と変わらず、あるいはそれ以上に、素敵だった。
私はこの二つの涙の理由を知らない。
涙の理由を名づけたときに、私の感情は姿を現す。
津波の映像は、私にプリミティブな恐怖の感情を呼び起こしたと名づけられる。
が、父を前にして涙を流させた情動に、私は名をつけることができないでいる。
それは懐かしさに近いものだった。
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
ブログ内検索
P R
カウンター