見えないものは見えない。見えているものも見えない。
「云ひやうのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落してゐた」「私」は「二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待つてゐた」主人公は「夕刊を出して見ようと云ふ元気さへ起らなかつた」のだが、その彼の前に「如何にも田舎者らしい娘」が「三等の赤切符」を「大事さうにしつかり握」って「前の席に腰を下し」た。
あ、分析はいいや。
主人公はこの娘に苛立ちを覚えて新聞を読もうとするのだが、娘が気になって、機械的に目を通しているにすぎないという思いに支配される。そして、
「これが象徴でなくて何であらう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であらう。私は一切がくだらなくなつて、読みかけた夕刊を抛はふり出すと、又窓枠に頭を靠もたせながら、死んだやうに眼をつぶつて、うつらうつらし始めた。」
でまあ、トンネルに入ると同時に娘が列車の窓を開けて、機関車の煙にむせて、娘に対してむかつく主人公。
しかしながら、窓を開けた理由が、次に描写される。
「暮色を帯びた町はづれの踏切りと、小鳥のやうに声を挙げた三人の子供たちと、さうしてその上に乱落する鮮やかな蜜柑の色と」
はたしてこれは、「鮮やかな」色彩をもった景色なのだろうか。
鮮やかなのは、蜜柑の色である。
そして「小娘」の行為である。
芥川が『藪の中』で描いたのは、当事者でさえ真実をかたりえない(殺害された当の本人(の幽霊)でさえ)、言葉の不安定さ。そして、その言葉の背後・裏にある、当人の実体験ですら真実ではない~言葉にしたとたんに真実でなくなるという「シューレジンガーの猫状態」~であったのだが、その3年前に書かれたこの『蜜柑』に、言葉が芥川にとってそのようなものであることが、予感的に描かれている。
芋粥 1916年
蜘蛛の糸 1918年
蜜柑 1919年
杜子春 1920年
藪の中 1921年
トロツコ 1922年
詩集 1925年
或阿呆の一生 1927年
これだけの作品を取り上げてきたが、芥川の悲劇は、そうした「予感」に自覚的でなかった/知っていて無視した/知らないふりをしなければならなかったところにあるのではないか。
芥川龍之介についての考察は、これでいったん筆を擱く。
次に芥川について書くとすれば、先述の「予感」を自覚していたか、いなかったかに関する考察となる。
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