見えないものは見えない。見えているものも見えない。
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今日は、さみしかったり、嬉しかったり、楽しかったり、腹立たしかったり。
何の原因も理由もないのだが、いろいろな感情が、同時に存在している。
こんなときに、ぴったりの音楽は何か。
ブレーズがこれを作曲したのは、大戦後の廃墟と虚脱感、無力感を表現するに適した手法であったからだろう。
フランスは、戦勝国ながら、敗北と破壊を経験し、勝利もまた敗北感をもたらした。
すべての感情が、静かに存在している。
さみしさ、悲しさ、喜び、憤り、すべてが破壊衝動とその結果の上で、期待とあきらめをもってぎごちなく踊っている。
Structures pour deux pianos / Pierre Boulez / Alfons und Aloys Kontarasky;Klavier
(1952/1961)
私には、尾形君という友達がいます。
小学校6年生の、たしか3学期のある寒い朝、朝礼のために校庭に並んでいると、彼が私の所にやってきたのでした。
「ぼく、尾形といいます。友達になってくれる?」
そう言った彼に私は、うんいいよ、と答えたのを覚えています。
じつは、尾形君との関係は、それだけなのです。
その後別々の中学校へ進んだこともあって、彼と遊んだこともなければ、言葉を交わしたこともない。
彼の姿を見たことすらありません。
もう一度会いたいと思っても、そのすべもありません。
でも、尾形君は今でも、私の友達です。
それは「うん、いいよ」と私が答えたからです。
困っているときに助けてくれたり、いっしょに昼ご飯を食べたり、人のうわさ話をしたりするのが友達だと思っている人たちは、尾形君が私の友達だと、認めるでしょうか。
でも、こんな友達もあるのです。
尾形君のことを思うと、私の心の奥が、ぽっと温かくなるのを感じます。
何かを書く気力とか体力が無くて、他人のブログとかtumblerとかを、ぼうっと見ている日々。
つまり人間って、何かを入れるのは楽だが、自分から何かを出すのはしんどくできているのだろうか。
放っておくと人間は自然に肥満するようにできているらしい。
放っておいてだらだら出るようになると、それは下痢。
病気に近い。
レンガの変容、鼠色の日向に
目を向けたときに、私は
蟹色に溶けていったクロシジミをレンガの
目地にその形を残したちいさな蝶の
苦い舌触りを、思い出しながら洗濯機の絞り器のハンドルを回して母にほほ笑んだ。
例文を参照してあらたに自分の考えを
目の前に並べるように述べること
カイツブリ、カニノテ、寒天の中で生きている
目の中にすむそれらの生物
ニシラはワレラの住みかを犯さずにいるのか
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