犯罪者に「人権」があるのか。
という議論は、充分に成り立つのが、今の日本の状況なのかもしれない。
この議論を十全に成り立たせるためには、「犯罪」とは何か、
誰が、どういう基準で、「犯罪」を「規定する」のかという、「前提」が必要であろう。
しかしながら、「犯罪者にも人権がある」ということは、
逆照射すれば、「犯罪」の規定にも過ちがあり得るということであろう。
今の日本の状況の中で、犯罪者に「人権」があるのかという議論が成立するならば、
「犯罪の規定」がいつでもどこでも不変であり、言ってみれば「犯罪は犯罪だ」という暗黙裏の了解があるからなのかもしれない。
法治国家において、法律にそぐわないことが犯罪であり、
憲法の規定で法律は改変できることが保証されているならば、
犯罪は犯罪ではない可能性を含んでいるはずである。
それでもそれを「犯罪」として糾弾するならば、その糾弾は、近代法制度以前のものであるか、
あるいは近代を超克したものかのどちらかであるはずだが、
後者である可能性は、ほとんどまったくあり得ない。
「犯罪」を犯したのだから、「何をされても(しても)かまわない」というのは、
近代以前の、因習的な感情論に過ぎないであろう。
「因習的」ということについても、また議論を重ねてみたい。
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