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web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

また言葉について考える

言葉は何かを伝えるものでしょうか。
言葉は何かを表すものでしょうか。

それは言葉のごく一部分なのでしょう。

わたしがなにかを言葉で表すとき、
言葉の下や上や周辺に、言葉にならない百万倍のなにかがあります。
わたしがあなたになにかを言葉で伝えるとき、
あなたに伝わらないなにかがあります。

わたしたちはその伝わらないものを切り捨てる契約を結びました。
それはわたしたちの中に未開の荒れ地、未開の豊穣のように、広がっています。

その豊穣な荒れ地が、言葉で表したり伝えたりすることの安心感を保証します。
でも、さびしさもあります。
そして、伝わらないことの安心感すら、あるのです。
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あの頃の自分の友達

今日で、37年間の仕事を終えた。
春休み中の金曜日、午後5時ちょっと前、
職員室を出るとき、そこにいた皆が起立して見送ってくれた。
駐車場に行く間の生徒も、ありがとうと言ってくれた。
桜が散り初めていた。

37年間、中学高校の教師をしてきた。
「あの頃の自分の友達になれたかな?」
とお風呂に入る前に思った。
思ったら、涙が出て来た。
お風呂の中で、ひとしきり泣いた。

あの頃の、頑なで孤独な自分の友達に、自分はなれたのだろうか。

エミリー・ディッキンソン

言葉が、純粋であったことはないだろう。
いつも、インタラプトされて、
いつも、濁っているだろう

でも

濁りと濁りの、その間の濁りと濁りの、その間に、
結晶よりも、水晶よりも、何もない空間よりも、
何もない言葉

宇宙からの画像を見て、人間のちっぽけさを感じること。


宇宙からの画像を見て、人間のちっぽけさを感じること。
あるいは、この地形の起伏の中で格闘する/諦めること。
どちらが、わたしとして、正当なことであるのだろうか。

地上のさまざまな争いを退けるために、自分がちっぽけな存在であることを認識することは、
他者もまたちっぽけな存在であることを強いる。

他者に強いない存在の仕方は、わたしを孤独へと解放する。
わたしは強大であり、わたしは微弱である。
わたしは存在し、わたしは存在しない。

なぜ、宇宙や世界との一体感を、彼らは強いるのであろうか。

宇宙から見ると平坦に過ぎない起伏を登り降りするとき、わたしは困難の中で、呼吸する。
わたしは生きていて、わたしは生きていない。

腰をおろした斜面のわたしの足下の、砂の粒とわたしと、どちらが貴重なのであるか。

すべての判断は、わたしが貴重であることにあらかじめ結論づけられている。
わたしが貴重であることの判断は、わたしが砂の粒とどちらが貴重であるか判断できないことによって、証明される。

手を振る。
わたしの目に映らない何かにむかって。
わたしが目に映らない何かにむかって。
毎日水を飲むように、手を、わたしは振っているようだ。

ネクタイピン


ネクタイがあるから、ネクタイピンがある。
では、ネクタイが存在する前のネクタイピンとは、何だったのか。

いや、屁理屈を言っているつもりはない。
ネクタイがある前のネクタイピンがあるから、ネクタイ以後のネクタイピンがあるはずだ。
そう思う。

缶詰が発明されて50年後に缶切りが発明されたらしい。
とすると、缶詰以前の缶切りは存在していないことになる。

であれば、缶切りのあの形状とは、いったい何を示唆しているのか。

単純に考えれば、ナイフ。
そして、梃子。

ナイフと梃子のハイブリッドが、缶切り。

であれば(再び)、ネクタイ以前のネクタイピンは何なのか。
あるはずである。

理解と対立

理解が和解を生むというのは誤解かもしれない。

理解ゆえの対立は、理解といえないのだろうか?

「食べる・もの(を)・作る」

「食べるものを作る」

「食べる・もの(を)・作る」

「食べる」という動作の対象は「もの」、なのか?

「作る」という動作の対象は「もの」、なのか?

では、「食べる」という動作と、「作る」という動作が、どう結びつくのか?

そしてそのときの、「もの」はどういう働きをもって、ふたつの動作の間に立っているのか?

「を」は、「食べる」と「もの」を関連づけ、

さらに「もの」と「作る」を関連づける。

助詞という付属語は、自立語というセルの隙間を流れることで、セルを緩やかに接着する。

助詞という付属語の働きは緩やかでかつ流動するので、「食べる」と「もの」と「作る」というみっつの自立語は、容易にその位置/働きを変える。

このように、言葉というものは、現実に目の前にしていても、流動的にその姿を変える。

一瞬たりとも、同じ形を見せることはないように思える。

・・・・たぶん私は疲れている。

二つの涙

今年(2011)314日のことだったと思うが、職場から車で帰り着いて、駐車場でカーナビをTVチューナーに切り替えた。
大震災や津波の情報が知りたかった。
カーナビの小さな画面に、一般の人が撮ったという映像が流れた。
高台に避難する人々の足下まで水が迫り、電柱がなぎ倒され、家が押し流されていく映像を見ながら、涙が湧いてきた。


数日後の夜、入院中の父が錯乱しているので来てくれと、病院から連絡が入った。
妻と二人で行くと、どうも父の頭は昔の中にいるようで、興奮している。
妻になだめられている父を前に座って、流れ出す涙をそのままにしていた。
そのとき自分が思っていたのは、父が格好いいということだった。
何かに腹を立てている父の顔は、昔と変わらず、あるいはそれ以上に、素敵だった。


私はこの二つの涙の理由を知らない。
涙の理由を名づけたときに、私の感情は姿を現す。


津波の映像は、私にプリミティブな恐怖の感情を呼び起こしたと名づけられる。
が、父を前にして涙を流させた情動に、私は名をつけることができないでいる。
それは懐かしさに近いものだった。

不運だった

不運だった。
物事が自分の思うようにいかないときに、そう考える。
ばれちゃったら、運が悪かった。
他人からやらねばならないことがスルーパスされたら、
それはラッキーだろう。
できないことならさらにスルーパス。
やってできれば、自分のポイント。
パスがうまく通らなかったら、パスした自分の責任。
それは不運だと、嘆くか、嘆かないか。
嘆いても、嘆かなくても、他人からの評価は変わらない。
嘆くことで自己評価を変える必要もないと思う。
・・・・
何でこんなことをくだくだ書くかというと、
不運だった
から。

ま、またいいこともあるさ。
ダメなときはダメさの中で右往左往している自分を楽しもう。

若者は未来の夢に眠り老人は過去の思い出に眠る

眠りの中で若者は未来を夢み
老人は過去の思い出に眠る


未来より過去の方が多くなった年齢になって、そんなことを思い続けていたのだが、
中学校1年生か2年生の頃、
しきりに小学校の頃が懐かしくてたまらなかったことを思い出した。
ムラカミユウスケくんのことが、懐かしくてたまらなかった。
13,4歳の自分が、過去を懐かしんでいたことが、思い出される。

過去を懐かしむことは、過ごしてきた時間の量に比例するのではないのかもしれない。
あのころ、なぜユウスケが懐かしく思われたのだろうか。
小学校の頃の友と離れて、皆とはちがう中学校に進んだからだろうか。

懐かしさとは、断絶によってもたらされるのだろうか。
とすれば、老人は断絶の中に生きていることに、なるのだろうか。

いったい、何からの、断絶? 未来、それとも、過去?

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