植物たちを見ていると、(特に亜熱帯的日本では?)全体的な様相として、混沌に見える。
一個体ずつをみると、それは秩序だっている。
ある個体と他の個体とにおいても、ある固定的な関連性に基づいて、それは秩序(=固定的法則性)を成立させている(ように見える)。
世界は=宇宙は、混沌にも秩序にも見えるくらいには、多くの相関関係(関係しないことも含む)で成り立っている。
秩序だっているとすれば、その秩序はあまりに複雑に見え、
混沌とすれば、あまりに関連性がありすぎる。
この世界に、どれだけの(個体としての)植物があるのだろうか。
そしてそれは、あまりにも敏感に気象に身をゆだねているし、
隣の植物とも関係しすぎている。
その関係性の総体が、混沌として見えるのは、人間の怠惰であろうか。
ブレーズの音楽が、混沌と聞こえたり、秩序だって聞こえたりするのは、
その植物たちの、(極めて雑な)アナロジーとして聞こえたりする。
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