畠にもならでかなしき枯野 与謝蕪村
この前まで建物があった所が、更地になり舗装されてコイン駐車場になっている。
昨日今日の話ではないが、人が、おのれの人生の時間を割き、心をくだいて働くよりも、機械まかせの駐車場の方が銭になるというのだろうか。
芥川龍之介『トロッコ』とニートさんたちのなかで、私は、
> 仕事とは世界(日本的に世間といっても良い)と自分を結びつけるものだ
と述べた。
たしかに、労働は金銭と直截に結びつき、私たちはまさに糊口をしのぐために、働いている。
しかしながら、労働(仕事)と金銭がまったきイコール関係になってしまえば、現今の状況は理想的状況といわねばならない。
労働者は、自らの才能(肉体も含めて)を金銭に置き換えているわけだが、それが論理のすべてなら、今の日本の状況は理想郷でなければならない。
福田康夫首相は十日、大田弘子経済財政担当相に対し、日本の労働市場で正規雇用の割合を増やすことが必要だとして、実現に向けた具体案を早急に取りまとめるよう指示した。大田経財相は対策について検討に着手した。
パート、アルバイト、派遣社員、契約社員などの非正規雇用者は、雇用者全体の約三分の一を占めている。非正規雇用者の割合が多いために、日本全体の賃金水準が上がらない面がある。首相はこうした現状を打破するために、大田経財相に対策策定を命じた。
首相は、企業の賃上げが十分であれば消費が増え、経済全体が拡大するとの問題意識を持っており、既に日本経団連の御手洗冨士夫会長に今春闘で賃上げに努力するよう要請している。
東京新聞 TOKYO Web 2008年3月11日非正規雇用者=つねに非雇用状態と隣り合わせにいる人たちが、どのように世界(世間)と結びつけられていると言えるのか。
私は一応正規雇用状態で過ごしてきているが、世間と結びついているという感覚が、日に日に薄れていく気がしてならない。
私が相手にしているのは、金銭的状況なのだろうか。
人は、人たちの中に自分が位置づけられていることを確信したときに、自らの意味を見いだす。
それが、たとえ反社会的であろうとも。
しかし、今私たちが直面しているのは、非社会的状況ではなかろうか。
人と人とのつながりの糸が多ければ多いほど、私たちは豊かだと感じる。
切断を前提とした非正規雇用とは、じつは正規雇用者にも同じ状況なのである。
「痛みを分かち合う」ことより、わずかなパンを分かち合うことの方が、私たちに豊かさをもたらす。
「畠にもならで」とはもともとからある荒れ野ではない。
それならばたんなる「枯れ野」である。
わざわざ蕪村がそう言ったということは、耕されることを放棄され廃棄されたことが前提としてあるからだ。
コイン駐車場となったコンビニで働いていたあのお兄ちゃんやお姉ちゃんやおばちゃんたちは、今どこでどうしているのだろう。
人と人とのつながりの糸が多いほど、それは豊かな生活と呼ばれる。
わずかな労賃で人と人とのつながりを維持していたお兄ちゃんやお姉ちゃんやおばちゃんたちは、糸を断ち切られたのだろうか。
少なくとも、一本の糸は断たれたのである。
こうした豊かさから遠ざかっていく今の中に、(正規雇用者も非正規雇用者も)私たちはいるのである。
風を切って走っていくトロッコの中で良平が目にした蜜柑の色も、鼻をくすぐった香りも、暗闇の中に遠く消え去っていこうとしているのである。
PR