忍者ブログ

web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

「資本主義」

森か林に入って、木漏れ日のつくる影に見入る。
あるいは目を上げて、木々の葉漏れの日差しを、目を細めて見る。

私の欲している音楽とは、そんなものな気がする。

「資本主義」という言葉に、私たちは汚染されてしまった。
「資本主義」の対義語は、じつは、ない。
冷戦構造の中で、私たちは、「資本主義」対「共産主義」と定義づけられたように思っていたが、
共産主義は、資本主義の高度に発達した段階であるはずだった。
(すくなくとも)マルクスはそう定義したと思う。

今私たちは、資本主義の失敗の渦中にいる気がしてならない。
その失敗とは、対義語の設定ミスなのかもしれない。

「資本主義」の対義語は何か。
という命題を解くには、資本主義の前段階を想起すればよいのかもしれない。
それは「王権」なのだろうか。
どうも実際のところ、そのあたりが判然としない。
もちろん、社会学的、歴史学的に対義語を定義できるのかもしれないが、
では実際の私たちは「資本主義」でないものを何だと思っているのか。

つまり、何を恐れて、資本主義であろうとしているのだろうか。
あるいは、私たちの「資本主義」とは何なのか。

たとえば、チェーン店業界。
「売れる」という名のもとにあるが、実は収益主義であり、
それは「拝金主義」と一時期は呼ばれていたのではないか。
そこでは「収益」のあがらぬものは排除される。
価値のないものとして排除される。
その結果として画一化が促進されるのだが、その画一化の裏に「価値」判断がひそんでいることに、
私たちは気づいているのだろうか。

良いものは万人に受け入れられる。
万人に受け入れられるものは価値があり、少数のものにしか受け入れられないものには価値がない。
そして、価値のないものは良いものではない。
そういう判断を、私たちは、自分自身の判断の前に、受け入れさせられてはいないだろうか。

誰にもほめられないものを、得にもならないのに、なしていくことの意味を、私たちは忘れ、わからなくなっていっている。

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[05/31 あそんでる人]

最新記事

(09/29)
(07/22)
(05/14)
(03/11)
(03/09)

最新TB

プロフィール

HN:
florva new noise maker
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

最古記事

(03/31)
(03/31)
(04/01)
(04/02)
(04/03)

P R

カウンター