忍者ブログ

web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

流出ビデオ

今夜のNHKニュース9で、ビデオ流出事件に関しての報道で、問題のビデオ(の一部)を放映していた。(民法は、それ以前からも)
これって、いいのか?
国家機密法違反の証拠物件を、流していいのか?

流していいという、お上の意向が、庶民の頭上を通り越して、メディアに指示されているのか?
そうでないとすれば、政府がなめられているのか?

流出されるまでは機密であったビデオが、こうまで簡単に流されている。
「機密」の意味ってなんなんだ?
ビデオを流出させたことが罪なら、それを公然とマスメディアが流すことを許すって、なんなんだ?

なにかがおかしい。
米軍に出ていってもらう代わりに。・・・・?
PR

「ことば」という「もの」

私たち人間は、なぜ、「意識」とか「精神」、新しいところでは「クオリア」というものが「ある」と思うのだろうか。
猫もものを見、聞き、温度を感じ、味を知り、している。
私たち人間が、「意識」(etc.)があると思ってしまうのは、「ことば」があるからではないか。
もう少し正確に言えば、「ことば」を使う能力があるからではないか。

そこ、あるいはここに、何かがあると感知するのは、そこにある何かを「客体化」するから可能になるのであり、「客体化」に大きな役割を果たしているのが、「ことば」であると私は思う。

前回「ことば」について書いてから、次を書きつぐのにずいぶん手間がかかった。
「ことば」を「ことば」によって語るのは、ずいぶん喧しい作業だ。
まるでハウリングのように、本体が見えているのに、聴き分ける・近づくのに、手間がかかる。

「ことば」という「存在」

「ことば」というものは私たち人間にあらかじめ備わっている能力・機能のように考えられているフシがあるが、人間に備わっている能力・機能は、正確に言えば、「ことば」をあつかう能力であろう。

私たちは「ことば」で考え、「ことば」で認識を完了するから、ついつい「ことば」は私たちの中から、外に出ていくもの、あるいは逆には、他人の中から出てきたもの、のように考えていがちだが、「ことば」というものは、私たち人間に生まれつき備わっているものではない。

たとえば、食餌・排泄・呼吸・生殖・睡眠などといった能力・機能は、大抵の場合訓練される必要はないし、これらの能力・機能に関して、種族・歴史、あるいは個人の差はまずないと言って構わないだろう。
つまり、これらの能力・機能は、私たち人間に生まれつき備わっている能力・機能だからである。
ところが、「ことば」というものに関しては、ある期間の訓練がなければあつかう能力・機能が備わらないし、言語そのものが地域や歴史によって異なっている。

だから、「ことば」というものをあつかう能力・機能は私たちに生まれつき備わっていると言えるが、「ことば」というものそのものは生まれつきのものではない。
しいていえば、「ことば」とは「道具」の一種であると言っていいと思う。

バスで聴く

バスで聴く「ベルリン」ルー・リードの声は聞こえず

世襲

北朝鮮の政権移譲問題について、
世襲制は異常だという論調が目立つようだが、
天皇は世襲である。
世襲でなければならない。

下下のことは、知らん。
自分の職業は世襲ではない。
天皇は職業ではない。

高橋幸宏が蝶ネクタイをしている件について

NHKの番組で、高橋幸宏は小6の時にドラムスを始めた理由(環境)として、叩いても苦情のでない環境だったと言った。
それは、私たちや私たちより少し年上の、とくに地方在住者からすれば、許しがたい、ブルジョワ的環境なのだが、
彼は、それに何も意味を見出していない。
そんな環境が、芸術的到達点を、何も保証していないと。
でもね、たしかに、ねたましい環境ではあるよ。

でも、それと、音楽的価値とは、相関関係はない。
そのことを、彼の襟元の蝶ネクタイが、語りかけている、と思う。

明日ありと

明日ありと疑わず目覚めし人たちの碑(いしぶみ)を掃く明日は原爆忌

遠雷や

遠雷や鱧の湯ぶきは酢味噌で食う

Reptile

Reptile / Eric Clapton
Reptile(2001)

人間はなぜ人間とは何であるかを知りたがるのだろうと、ときどき考える。
「人間はなぜ人間とは何であるかを知りたがるのだろう」という問ですら、「人間とは何であるかを知りたがっている」問なのであるのだが。

アルバムタイトル曲の「Reptile」が気になって、エリック・クラプトンのアルバムを初めて買ったが、
「Reptile」以外は、なぜ自分がこれまでエリック・クラプトンを聞いてこなかったかを教えてくれる曲ばかり。

「Reptile」はなぜか気になる。
スティーブ・ガッドのドラムが入ると、誰のアルバムでも同じように聞こえてならないし、
ガッドの唯一の欠点はそこなんだろうな。
クラプトンの思いと、ガッドの淡々とした完成度が齟齬をきたしているように思える。
ブルース、ブルースした他の曲に対して、この曲の淡いセンティメンタリズムと、淡々としたガッドのリズムが、好きでもないのに気になる感じを生み出しているような気がする。

人間は、自分が何であるのかを知るための存在ではないのだが、なぜが知りたい気がしてならない。
知ろうとしてもそう易々と知ることはできないのだが、気がつくとなぜかそのことを考えていて、
考えていることに気づくと考えることをやめようと思うのだが、次の瞬間にはやはり考えていて。
そういった、好きでもないのにそうしてしまうあたりが、「Reptile」なのかもしれないと思ったりする。

もうちょっと、クラプトンの他のアルバムも聴いてみようかと思う。
と思った次の瞬間には、やはりいいか、と思ったりする。
今の私には、そんな存在のクラプトンなのか、な。

甘藍も

甘藍も薔薇の味なる五月闇

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

フリーエリア

最新CM

[05/31 あそんでる人]

最新記事

(09/29)
(07/22)
(05/14)
(03/11)
(03/09)

最新TB

プロフィール

HN:
florva new noise maker
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

最古記事

(03/31)
(03/31)
(04/01)
(04/02)
(04/03)

P R

カウンター