見えないものは見えない。見えているものも見えない。
子曰、吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩。
小学校の低学年の頃だったが、「世界の偉人伝」という本を父親が買ってきた。
ソクラテスや、なんやかんや、いろいろあった。
中にはフォードの話もあって、せっかく自動車を組み立てて動かし始めたのはいいが、出口が小さくて、慌ててハンマーで出口を壊したという話があって、なんて馬鹿なやつだと、幼心に思ったことを覚えている。
そんな中で、その後も折に触れて思い出したのが孔子の話だった。
話の最後のシーンで、宮殿に招かれた孔子が、まん中は王の道であるから、自分は端を歩くと言ってその通りにしたというのが、規範のようにわたしの心に残り、今でも残っている。
いろんな話がある中で、その話が印象深く心にのこったということは、
わたし自信がそんな人間として生まれたのだと、思える。
・・・それとも父の教育なのか・・・
自分も五十を過ぎたので、孔子の言う天命が少しでもわかるかと思ったが、わかったようなわからないような。
それはそれで仕方がないだろうと、言い訳をしてみる。
なぜなら、この言葉は、孔子が少なくとも七十歳を越した時の言葉だからだ。
過ぎてみなければわからない、というのが自分であろう。
過ぎてみてもわからない、というのが本当のことだろう。
でも、気になるので、考えてみる。
子曰、吾
十有五而志于学。
三十而立。
四十而不惑。
五十而知天命。
六十而耳順。
七十而従心所欲、不踰矩。
十五歳で学問で身を立てることに志し、三十で自分の考えをもった/教団を作った/教えを説き始めた。
学問すること15年である。
現代日本では、6・3・3・4で16年、大学院まで行けばさらにかかる。
まあおおざっぱに言って、孔子も同じくらい勉強したということか。
15年たって、自分の考えで生きるようになったってことか。
四十歳で惑わない。
惑うとは何?
誘惑にあう。/この道でよかったのか不安になる。/うまくいかないことに思い悩む。
ことがなくなった。
孔子のような体格のよい、鬚ぼうぼうの豪傑風の人が言うと、居直りとも楽天主義とも思える。
四十歳の時は迷いがなかったと解すれば、イケイケだったと。
私も、その頃のことを思い出せば、イケイケだったといえばそうだったもんだ。
人の批判なんか屁でもなかった。・・・けっこうめげたりもしたけど。
とすれば、「知天命」とは、まあそれでいいんじゃいかと、悟ったというか、居直ったというか。
で六十で人のいうことに腹が立たなくなり、
七十でおとなしくなった、ってことか。
わしも若い頃からずっと思う存分やってきたが、ようやく落ち着いたかの。
てなもんか。
子の道は忠恕のみ
と弟子の子貢は言ったというが、
自分にいちばん欠けていたからこそ、孔子は「恕」(ゆるすこと)を一番の徳目として、自分の額に貼り付けたような気がする。
「子曰」とは単純に先生が言ったと解すれば、孔子の述懐を興味深く聴いている弟子たちの表情が見えてくる。
孔子の昔語りだと、単純に割り切ってはいけないのだろうが、
その昔語りから自らを振り返り自分の道を見つけていったのが彼の弟子だとすれば、
案外に、七十を過ぎてかつてのとげとげしさを懐に隠して目を細めている孔子の表情を描いているのかもしれない。
好々爺としたその表情から、自分の生き方を探ろうとしている弟子たちのまなざしをこそ、想像するべきなのかもしれない。
「わしもやんちゃばかりやってきたがの・・・」と語る孔子の顔を見つめるまなざしが、「子曰」の本当の意味なのだろう。
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