忍者ブログ

web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

茄子供養(2)

ものごとを理解するということは、それらを支配下(アンダー・コントロール)に置くことなのだろう。
それは物理的な支配とは限らない。
意識下の支配となる。

「××は○○だ。」という単純な構文。
××を○○だと理解することは、××を○○だと規定することであり、理解する側が○○だと規定することによって××を支配することである。
あるいは、支配することによって規定が可能になる。

しかしながら、理解される側には、支配されない(アンコントローラブル)部分が残る。
この支配されない部分というのは、じつに、理解する側・支配する側には見えない。

つまり、理解する・支配するということには、理解されない・支配されないということが含まれていくのである。


言葉というのは、理解するためにしか使えない。
理解されない・理解できない・支配されない・支配できないことは、
否定形・打ち消しでしか表現できない。
(ということで、否定形の発見は、レトリック上重要な発見だったわけだが)。
「××は○○ではない。」
では、××は何なのか。
「○○ではない」としか表現されないときに、××に対する理解・支配は物理的な局面に及びうる。

理解・支配の道具である言葉を積み重ねることで、理解されない・支配されないもの(こと)に手を触れることはできるだろうか。

私たちが「慰霊」とか「供養」と呼んでいる行為や心性の中に、
積み重ねた言葉の石垣の隙間から、理解されない・支配されないもの(こと)の何らかの形が、しみ出す清水や、草の芽生えのように、浮かんでくるのではないか。
PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

11 2024/12 01
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

フリーエリア

最新CM

[05/31 あそんでる人]

最新記事

(09/29)
(07/22)
(05/14)
(03/11)
(03/09)

最新TB

プロフィール

HN:
florva new noise maker
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

最古記事

(03/31)
(03/31)
(04/01)
(04/02)
(04/03)

P R

カウンター