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web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

『杜子春』

1920年(大正9年)に雑誌「赤い鳥」に発表した子供向けの短編小説。

『蜘蛛の糸』と比べると、なんだかとっちらかっているような印象がある。
『蜘蛛の糸』では一声を発することで地獄へ真っ逆さまに落ちたが、この作品では一声を発することが落命から主人公を救う。
もちろん、一方は他人を蹴落とそうとする利己心から発し、もう一方は肉親の情から発したのであるが、『杜子春』と『蜘蛛の糸』の落差、あるいは位相差は何によって測りうるのか。

先日の論考で述べたように、『蜘蛛の糸』で芥川が描こうとしたのは、一見主人公に見えるカンダタの無慈悲ではなく慈悲ゆえ無慈悲である釈迦であった。
では『杜子春』において、芥川が描こうとしたのは、杜子春ではないとすれば何か。
私がこのように問いを措定するのは、芥川ほどの作家がたとえ児童向けの作品であったにせよ、教訓譚に終わって満足したかという前提があるからである。
杜子春を主人公に置くかぎり、教訓譚におわってしまう危険性が濃厚にある。
私たち読者は、そのように作品をとらえることで、容易に理解を終えることができるからである。
しかし、そうした理解は作品理解のほんの一面であるにすぎないことを、私たちは覚悟しておかなければならない。
真にすぐれた作品は、多面体である。
作者は、どのジャンルであれ、矛盾のない、破綻のない多面体を作りあげることに腐心する。
教訓を引き出すことなく作品を受容することが、真の作品理解につながっていく。

『杜子春』という作品において、作者芥川が嬉々として描いているのは、洛陽西門の日暮れの物憂さではないか。
「しつきりなく、人や車が通つてゐました。門一ぱいに当つてゐる、油のやうな夕日の光の中に、老人のかぶつた紗の帽子や、土耳古の女の金の耳環や、白馬に飾つた色糸の手綱が、絶えず流れて行く容子」も、杜子春の持つ物憂さが、じつは、落ちぶれた境涯に対する憂鬱ではないことを物語っているように思える。
物語は、常にその場所に戻っていく。
その場所で、「突然彼の前へ足を止めた、片目眇の老人」が一度目は「頭に当たる所」、二度目は「胸に当たる所」、三度目は「腹に当たる所」を掘れと言う。
頭、胸、腹と部位が移っていくあたりは、肉感的でもある。

三度目の示唆を断った杜子春がたどった経緯は、とくに意味のあることではなかろう。
「腹に当たる所」を掘ることを断った杜子春は、「頭に当たる所」を掘る前の彼に立ち戻るだけである。
その最初の彼に立ち戻るきっかけになったのが、一声を発することであった。
夢にうなされ、自分のうめき声で目が覚めるように、杜子春は最初の場面の自分に戻っていることに、自ら気づくのである。
立ち戻った自分は命は失いはしなかったが、地獄へ堕ちずにすんだのか。
「桃の花が一面に咲いてゐる」「泰山の南の麓」の「一軒の家」は極楽なのか。

発してはならなかった一言を発したカンダタは、釈迦の慈悲の視線を得た。
発すべき一言を発した杜子春が得たのは、一軒の家に象徴される「人間らしい、正直な暮し」であったが、それを描いた芥川龍之介は持ち前のシニカルな視線を失った。
残ったのは、夢のような中国の風景だけである。
芥川にとって、一言を発することは、地獄へ堕ちることであったのである。

『或る阿呆の一生』に描かれているのは、彼の審美眼の前に広がる情景に対して、まさに「阿呆」のように口を開けたまま沈黙している自分自身の姿ではないか。
一度手を離れたものは、二度と戻ってはこない。
二度と戻ってはこないものを描いたのが『或る阿呆の一生』という作品だった。

発してはならない一言を発すること。
発すべき一言を発すること。
どちらも地獄に暮らす結果なら、どちらをとるべきか。

芥川の結論は明快である。
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