見えないものは見えない。見えているものも見えない。
六十而耳順。
【六】
小さな幕舎の形であるが、その原義において用いられることがなく、数の六にのみ用いる。すなわち仮借字である。~古い字形は∧に作る。陸はこの字形に従うもので、その字は神梯の前に六を重ねた形をしるし、六は小さな幕舎の形と見られるものである。陵の字形にも六を含み、陵と陸は関係のある字であろう。~
【耳】
耳の形に象(かたど)る。~耳は目とともに神霊に接する最も重要な方法であり、その敏きものを聖(せい)という。~さらに目の徳を加えたものを聴(ちょう)という。聴とは耳目の聡明を合わせいう語である。
【順】
~これは水の徒渉すべきところに臨んで、その安全を祈る儀礼を意味する字とすべく、安全を祈り、安全を保証されることが、順の初義であろう。従順・和順・順導・順逆などの意は、その引伸の義で、もと自然の勢に従うことを順といったのである。~
私が目にした解釈で、この句が最も解釈に難渋しているようである。
他人の言葉を素直に聞けるようになった
というのがその多くの解釈であるようだ。
「知天命」の解釈をしくじっているのかもしれない。
天命を知るとは、「知是天命」ではない。
何かが天命であることを知るということではない。
天命というものを知る、天命というものがあることを知る。
という意味ではないだろうか。
「耳順」とは、耳が天からの安全を祈り、安全を保証されること。
神霊に接する身体部分が保証され、ようやく天に接することができたということかもしれない。
五十で天の命ずるところのあるを知る。
六十で天の声に接する。
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