見えないものは見えない。見えているものも見えない。
五十而知天命。
【知】
矢(し)と口とに従う。矢に矢誓の意があって、誓約のときに用いるもの。口は※(さい)、祝祷を収める器の形。神に祝祷し、誓約する意の字で、これによって為すべきことが確認されるのである。~知識・知能は、神を祀ることによって神によって与えられるものである。~
【天】
大は人の正面形。その上に頭部を示す円を加えた形で、人の巓頂を示す。~天地にはもとその字なく、天は人の頭頂、地の初文は墜(ち)にして、神梯によって神の降り立つところをいう。~天の思想は、思想として成立する以前に、宗教的な儀礼としてすでにあった儀礼であろう。~〔周書、五誥〕の諸篇には、天命は民意を媒介として表現されるとしており、殷周革命の体験によって、古代の宗教的な観念が、新しく政治思想として組織されたものであろう。〔書〕における天は、概ね民という語と対応する関係に老いて、用いられている。
【命】
令と口とに従う。令は礼冠を著けて、跪いて神の啓示を待つもの。ゆえに神の啓示の意となる。口は※(さい)、祝祷を収める器。神に祈ってその啓示を待ち、その与えられたものを命という。~天命の思想は周初の〔書、周書〕の諸篇にもみえ、周王朝創建の理念であった。~命はもと神の命ずるところであり、天与のものである。〔論語、堯曰〕の末章に、「命を知らざれば、以て君子と為す無きなり」という。孔子が五十にして天命を知ったというのは、その意であろう。~
天命を知るとは、ゆるぎない自信を持つことだろうか、深い諦めに沈むことだろうか。
孔子は「下学シテ上達ス、我ヲ知ル者ハ、其レ天カ」と言ったが、徂來は、これを、次のように解した。・・・・・・この学問上の意識的な努力の極まるところ、学者の「任」という考えに到達した。だが、この考えは何処からともなく自分に現れたのであって、自分の意志や理性の産物ではない。「道ヲ伝フルノ任」を命じたとしか考えられなかった。「我ヲ知ル者ハ、其レ天カ」とは、自分の偽りのない経験である。・・・・・・
・・・・・・人が理想を捕らえるのか、それとも理想が人を捕らえるのかとは、空漠たる問題ではない。それは、現実生活の深い領域に、根を下ろしている、と見た。・・・・・・
・・・・・・下学して上達した彼の意識を見舞った理想は、独り歩きする。動かしがたい事実の姿で、彼に経験されていた。・・・・・・
・・・・・・・昔の人達にとって、天に心有るは自明な事であった。「易」を読んでも明らかな事だし、無論、孔子にしてみても、彼が天を言うどの言葉をとってみても、彼は天と語り合っているのであり、天に心がないとしたら、意味をなさぬ言葉になる。・・・・・・
(フロイトに関して)・・・・・・彼自身が、その重みを一番よく知っていた、彼自身が背負い込んだ重荷である。・・・・・・彼が、その厚い実証的方法の下に圧しかくして了った使命感を、彼は何処から得たか。「天」からというより他に言い方があるのか。・・・・・・
と小林秀雄は「天命を知るとは(考えるヒント)」で書いている。
「命」とは、「もと神の命ずるところであり、天与のものである」ならば、それは「神に祝祷し、誓約する」以外の方法で「為すべきこと」として得られるものではないだろう。
「天命は民意を媒介として表現されるとしており、・・・・・・〔書〕における天は、概ね民という語と対応する関係に老いて、用いられている。」
民と対応する関係にある天の命ずるところが、民の意を介して表現される。
とすれば、「天命」とは運命や宿命といったものではないだろう。
であれば、ゆるぎない自信とも、深い諦めとも無縁のものであるだろう。
人々の中にありながら、人々の中の一人として何を為すべきか。
それが与えられたということではないだろうか。
惑いが消えたわけではないということは前項で述べた。
民衆という人々の渦の中に、海の道のように、かすかに色を変えた道が見えたということなのだろうか。
私たちは人間であることを抛棄することはできない。
物を喰い、排泄し、眠り、目覚め、人に恋し、人に疎まれ、暑ければ汗を流して喘ぎ、寒さにはふるえているしかない。
そのような渦の中にいることが、しだいに分かってくるということなのだろう。
五十で天に誓約することで天の命ずるところを与えられた
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