伊藤長崎市長の射殺事件の報道について。
いまだに明らかに報道されていないのが、犯行に使われた小銃の流通経路についての情報である。
さまざまな「政治的」報道がなされているが、犯人が「暴力団」であるということで、ピストル所持がさも当然であるかのように報道されてはいないか。
「政治的」側面の報道も必要であるが、一国民=一住民として、なぜこのように簡単にピストルが発射され、殺害事件が生起したかが追求されなければならないはずである。
ちょうどアメリカでの32名殺傷事件と時を同じくして発生した事件ではあるが、銃がスーパーマーケットで買える国と、同じスタンスで語られてはならない。
「市長」が射殺されたことは、大きなショッキングな事件ではあるが、その銃が、「私」に向けられることはないのか、それは「私」が「市長」ほど重要でないからあり得ない/あるかもしれないという問題ではなく、何時誰にでも銃口が向けられる可能性が存在する国家であるということで、重要な問題として取り上げられなければならないはずだ。
今回の事件後の問題は、政治の問題ではなく、マスコミの問題である。
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