「個人の知が共鳴し合い、新たな知が生まれる」というゼロックスのCM。
見るとはなしに点けていたNHK−TVで、アンダーグラフ「また帰るから」を聞いた。
自分が共感できないものに批判を加えるのは、悪口に過ぎないのだが。
歌詞の内容は、かつてのフォークのように個人的立場の表明なのだが、
たぶん音がそう聞こえさせているのだろうが、音楽家である以上音と言葉は不可分であるので、
言葉が、安易な自己認識の上に成り立っていて、それを支持する層がある(NHKに出ているから)と言うことは、
そうした自己認識が多く存在しているのだろうという手触りがある。
自己否定を含まない自己認識が、いくら共鳴しあっても、新しいものは生まれはしないだろう。
歌舞伎のパリ・オペラ座公演も見た。
徹底した自己否定の上に成り立つ技芸がそこにある。
自分の肉体の癖や限界を乗り越える、つまり自己の否定からしか成り立たない表現がある。
いや、表現とはそうした自己認識の上にしか成り立たないものではないか。
Wikipediaも新たなガイドラインを導入した。
目の前にあるたったひとつの鍵盤を、どれほど上手く鳴らすかという修練なくては、いくら共鳴しあっても新たなるものは生まれないだろうし、生まれたところでたいしたことはない。
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