NHKテレビ「プロフェッショナル 仕事の流儀「地の果てにこそ,真実はある〜生物学者・長沼毅〜」」を見ていて、2003年の夏に岡崎で会ったデンマーク人のスティンとの会話を思い出した。
植物を研究しているという彼に、私は、文字の書き方について思いつくままにしゃべった。
右から、左から、横へ、下へ、それらは筆記具の特性に基づいているのではないかと。
そして今私は、自分が詩を書いている理由を、思い出した。
言葉とは何であるかを知るために、私は詩を書いているのだった。
書き表したいこと、伝えたいことがあって書いているのではない。
言葉の性質や構造、特性といったものではなく、
単純に言葉とは何か、という謎のために、私は詩を書いているのだった。
旅に関する詩でも、植物に関する詩でも、死者と交わる詩でも、何でもいい。
それらは題材であって、主題ではない。
言葉とは何か、それはけっして言語解析ではたどり着けない。
言葉で言葉を説明するという、循環に陥るだけだ。
私は言葉とは何かを知るために詩を書き、私の詩は言葉とは何であるかをいつまでも指し示さないだろう。
そのために詩を書いているのだ。
少なくとも、三十年前から。
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