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web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

Chicago/Earth,Wind&Fire Live At The Greek Theatre

何の気なしに、シカゴとアース・ウィンド・アンド・ファイアーの2004年のグリークシアターでのライブのDVDを買った。
どちらも私の70年代のアイドルである。

その後しばらくして、イエスを「フラジャイル」から「リレイヤー」までつづけて聞いた。
その時、なんて白人はあれこれしたがるのかと、思った。
「白人」とひとくくりにするのは差別的な発想なのだが。
正確に言えば、ヨーロッパ発祥の音楽に基盤をおいた音楽ということになろうか。

アフリカ系アメリカ人の音楽に比して、ヨーロッパ発祥の音楽は、展開を求める。
今の私には、求めすぎるのだが。
繰り返しを嫌うことが、ヨーロッパ音楽の基本である。
もちろんシャコンヌのような形式もあるが、それでも変化・展開を際だたせるための反復である。

シカゴの音楽は展開を求め、E.W.&F.の音楽はここにとどまりつづける。
どちらが良くて、どちらが嫌いということではない。
今の私は、後者に馴染むというのである。

アインシュタインが、アフリカ系のエートスに基づいた人であったらどうだったろう。
という命題を思いついた。
アインシュタインは三次元座標に時間座標を加えることで、特殊相対性理論を考えた。
(と私は理解している)
時間軸に沿って展開・変化するのではなく、時間軸に沿いながらここにとどまるという発想で、
どのようなモデルができるのだろうか。

いや、アインシュタインの発想・モデルが、そうした単純なものではないのはわかる気がする。
それは「アインシュタインの」ではなく、やはりヨーロッパ的発想のことを、私は言っているのかもしれない。
ダーウィンの進化論も、やはりそうした展開・変化に軸をおいたヨーロッパ的発想であろう。

アフリカ系アメリカ人の音楽、とくにR&B系の音楽は、ここ以外のどこにも行けない、存在できないという彼らの生活・歴史の中で形づくられたものであるにちがいない。
そうした発想で、この世界はどのように描きうるのだろうか。

そして私・日本人は、どのような世界を持ち、どのように世界を描くことができるのだろうか。
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