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web florva不定期日記

見えないものは見えない。見えているものも見えない。

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六十而耳順

六十而耳順

【六】
小さな幕舎の形であるが、その原義において用いられることがなく、数の六にのみ用いる。すなわち仮借字である。~古い字形は∧に作る。陸はこの字形に従うもので、その字は神梯の前に六を重ねた形をしるし、六は小さな幕舎の形と見られるものである。陵の字形にも六を含み、陵と陸は関係のある字であろう。~
【耳】
耳の形に象(かたど)る。~耳は目とともに神霊に接する最も重要な方法であり、その敏きものを聖(せい)という。~さらに目の徳を加えたものを聴(ちょう)という。聴とは耳目の聡明を合わせいう語である。
【順】
~これは水の徒渉すべきところに臨んで、その安全を祈る儀礼を意味する字とすべく、安全を祈り、安全を保証されることが、順の初義であろう。従順・和順・順導・順逆などの意は、その引伸の義で、もと自然の勢に従うことを順といったのである。~

私が目にした解釈で、この句が最も解釈に難渋しているようである。

他人の言葉を素直に聞けるようになった

というのがその多くの解釈であるようだ。

「知天命」の解釈をしくじっているのかもしれない。
天命を知るとは、「知是天命」ではない。
何かが天命であることを知るということではない。
天命というものを知る、天命というものがあることを知る。
という意味ではないだろうか。

「耳順」とは、耳が天からの安全を祈り、安全を保証されること。
神霊に接する身体部分が保証され、ようやく天に接することができたということかもしれない。

五十で天の命ずるところのあるを知る。
六十で天の声に接する
 

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五十而知天命

五十而知天命

【知】
矢(し)と口とに従う。矢に矢誓の意があって、誓約のときに用いるもの。口は※(さい)、祝祷を収める器の形。神に祝祷し、誓約する意の字で、これによって為すべきことが確認されるのである。~知識・知能は、神を祀ることによって神によって与えられるものである。~
【天】
大は人の正面形。その上に頭部を示す円を加えた形で、人の巓頂を示す。~天地にはもとその字なく、天は人の頭頂、地の初文は墜(ち)にして、神梯によって神の降り立つところをいう。~天の思想は、思想として成立する以前に、宗教的な儀礼としてすでにあった儀礼であろう。~〔周書、五誥〕の諸篇には、天命は民意を媒介として表現されるとしており、殷周革命の体験によって、古代の宗教的な観念が、新しく政治思想として組織されたものであろう。〔書〕における天は、概ね民という語と対応する関係に老いて、用いられている。
【命】
令と口とに従う。令は礼冠を著けて、跪いて神の啓示を待つもの。ゆえに神の啓示の意となる。口は※(さい)、祝祷を収める器。神に祈ってその啓示を待ち、その与えられたものを命という。~天命の思想は周初の〔書、周書〕の諸篇にもみえ、周王朝創建の理念であった。~命はもと神の命ずるところであり、天与のものである。〔論語、堯曰〕の末章に、「命を知らざれば、以て君子と為す無きなり」という。孔子が五十にして天命を知ったというのは、その意であろう。~

天命を知るとは、ゆるぎない自信を持つことだろうか、深い諦めに沈むことだろうか。

 孔子は「下学シテ上達ス、我ヲ知ル者ハ、其レ天カ」と言ったが、徂來は、これを、次のように解した。・・・・・・この学問上の意識的な努力の極まるところ、学者の「任」という考えに到達した。だが、この考えは何処からともなく自分に現れたのであって、自分の意志や理性の産物ではない。「道ヲ伝フルノ任」を命じたとしか考えられなかった。「我ヲ知ル者ハ、其レ天カ」とは、自分の偽りのない経験である。・・・・・・
 ・・・・・・人が理想を捕らえるのか、それとも理想が人を捕らえるのかとは、空漠たる問題ではない。それは、現実生活の深い領域に、根を下ろしている、と見た。・・・・・・
 ・・・・・・下学して上達した彼の意識を見舞った理想は、独り歩きする。動かしがたい事実の姿で、彼に経験されていた。・・・・・・
 ・・・・・・・昔の人達にとって、天に心有るは自明な事であった。「易」を読んでも明らかな事だし、無論、孔子にしてみても、彼が天を言うどの言葉をとってみても、彼は天と語り合っているのであり、天に心がないとしたら、意味をなさぬ言葉になる。・・・・・・
(フロイトに関して)・・・・・・彼自身が、その重みを一番よく知っていた、彼自身が背負い込んだ重荷である。・・・・・・彼が、その厚い実証的方法の下に圧しかくして了った使命感を、彼は何処から得たか。「天」からというより他に言い方があるのか。・・・・・・

と小林秀雄は「天命を知るとは(考えるヒント)」で書いている。

「命」とは、「もと神の命ずるところであり、天与のものである」ならば、それは「神に祝祷し、誓約する」以外の方法で「為すべきこと」として得られるものではないだろう。

天命は民意を媒介として表現されるとしており、・・・・・・〔書〕における天は、概ね民という語と対応する関係に老いて、用いられている。
民と対応する関係にある天の命ずるところが、民の意を介して表現される。
とすれば、「天命」とは運命や宿命といったものではないだろう。
であれば、ゆるぎない自信とも、深い諦めとも無縁のものであるだろう。

人々の中にありながら、人々の中の一人として何を為すべきか。
それが与えられたということではないだろうか。

惑いが消えたわけではないということは前項で述べた。
民衆という人々の渦の中に、海の道のように、かすかに色を変えた道が見えたということなのだろうか。
私たちは人間であることを抛棄することはできない。
物を喰い、排泄し、眠り、目覚め、人に恋し、人に疎まれ、暑ければ汗を流して喘ぎ、寒さにはふるえているしかない。
そのような渦の中にいることが、しだいに分かってくるということなのだろう。

五十で天に誓約することで天の命ずるところを与えられた

四十而不惑

四十而不惑。

【四】
~初形は算木四本を重ねた形。四は口四の省文で音の仮借。~
【不】
否定・打消の「ず」に仮借して用いる。もと象形で花の萼柎(がくふ)の形であるが、その義に用いられることは殆どなく、その本義には柎(ふ)などを用いる。~不を否定詞に用いることは、卜辞以来のことで、代名詞や否定詞を充足することは、文字成立の条件であるから、これらの字ははじめから仮借的な用法をもつ字であったと考えられる。卜字における貞問(ていもん)の形式は、「今日雨ふるか」「今日雨ふらざるか」のように肯定と否定の命辞を左右に排して刻する例であるから、否定詞がなくては卜法も成り立たない。~
【惑】
声符は或(わく)。或に限定の意があり、それより疑惑の意を生ずる。〔説文〕一〇下に「亂るるなり」とあり、惑乱・疑惑をいう。限定することから、選択に迷う心情をいう。

言語表現において、打消/否定は無存在ではない。
安藤次男が蕪村句の評釈で述べているように、

  菜の花や鯨も寄らず海暮れぬ    蕪村

ここには幻の鯨が海のうね間に見え隠れしている。

「字統」の解説からは、文字が眼前の物だけを指すのではないことに気づいていく様子が、うかがえるようである。

四十で迷わない

不惑ということは、惑っていたということである。

孔子が何に迷い惑い疑っていたのかは明らかにされない。
しかし、確かに迷い惑い疑いの渦の中におり、そこから抜け出しがたかったのだということは、わかる。

迷わないということは、迷いがなくなったのではなかろう。
迷わせ惑わせ疑わせるものの渦中に、いまだ抜け出せずにいる。
しかし迷わないことにする、ということでなかろうか。

自分は間違っているかもしれない、たぶん高い確率で自分は間違っているだろう。
間違っていてもいいじゃないかという、居直りではない。
間違っている自分を引き受けるのは自分でしかない、という覚悟のようなものではないだろうか。
たぶん、この迷わないということが、天命を知ることにつながっていくのだろう。
そんな気がする。

はまぐりよりは名も

西行『山家集』羇旅歌に、

  串にさしたる物をあきなひけるを、何ぞと問ひければ、
  はまぐりを干して侍るなりと申しけるを聞きて
同じくはかきをぞさして干しもすべきはまぐりよりは名もたよりあり

という歌がある。
この歌の前に真鍋島に京から商人がやってきて商売をしているという歌があり、この歌も真鍋島での歌だろうか。

真鍋島はここ

同じことなら牡蠣を串に刺して干せばよいのに、はまぐりよりは名が頼みにできるのに
といった意味だろうか。

『山家集』羇旅歌は次のような歌で始まる。

  旅へまかりけるに入相をききて
思へただ暮れぬとききし鐘の音は都にてだに悲しき物を

このわびしさに比べて何とたわいのない歌だと思っていたのだが、
「かき」=「牡蠣」・「書き」
「たより」=「頼り」・「便り」
と、掛詞が掛詞にならないままに、縁語としてつながっていく。
新古今風の謎解きのようで、もっと直截である。

同じことなら牡蠣を串に刺して干せばよい、はまぐりよりは名前も便りに縁があり、頼みにできるのだ

とくに句切れの「干しもすべき」の破調の断定ぶりや、下の句「たよりあり」と逆接ではないあたりに、西行の面目があるように思える。
たわいなく思えて、旅にあって都を思う心を詠んでいるのである。
このあたり、慎重に考えねばならない。
西行は、都を思って詠んでいるのではない。都を思う心を詠んでいるのである。
都を思う心にこと寄せて、旅の軽快さを詠んでいるのではないかと思える。

都を思う心とは、故郷を思う心とは違うのだろうか。
違うように思うのだが、鄙の出である私には、よくわからない。
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なま考えのまま、偉そうなことを書こうとして、よくわからぬ文章になってしまった。
今年も夏の旅に出かけようと思う。

三十而立

三十而立

【三】
横画三本を並べた形。細長い木などを用いた古い数とりのしかたを、そのまま字形に示したもの。~三は聖数とされ、その名数の語彙は千数百に及んでいる。~
【立】
大と一とに従う。一はその立つところの位置を示す。それで金文には、立つという動詞と、位という名詞に用いる。〔説文〕一〇下に「住(とど)まるなり」とあり、一定の所に立つ意。~ものをはじめることを立案・立法・立制、時期のはじめを立春、また意見を述べることを立言・立論、人格・信条の基調を確立することを立徳・立命という。

三十で自分のやることが始まる

十五年の学びののちに、自らの道が始まった。

イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。〔ルカによる福音書3章23節〕
二千年、二千五百年前の三十歳はどのようだったのだろう。
多くの人が早死にする中で、三十はいい年だったろうという人もいる。
イエスが宣教を開始したのも、仕事はもういいだろうという考えだっただろうと聞いたこともある。

私の父は去年八十一になったが、自分より年上の者が町内にほとんどいなくなったとつぶやいたことがあった。
そんな存在だったのだろうか。
イエスはわずかな月日のうちに、十字架上で刑死する。
孔子は打ち据えられることなく七十五まで生きたが、不遇であった。

「立つ」とは、孤独を選択することなのだろうか。
孤独が自分の立つ位置の認識を、いやおうなく促すのだろうか。

http://threeshiko.exblog.jp/8876752/には孔子の生涯が詳細に検証されていて興味深い。
が、私は孔子の言葉を履歴にあてはめることはせずにおく。
孔子の言葉を体験した人々に倣う。

吾十有五而志于学

吾十有五而志于学

【吾】
五と口に従う。五は木を交叉して器の蓋としたもの、口は※(さい)、祝祷を収める器の形。その祝祷をまもるために器蓋を加え、敔(まもる)意。~〔説文〕二上に「吾自ら稱(い)ふなり」とは一人称で仮借義。~

【十】
算具に用いる縦の木の形。

【有】
又と肉とに従う。肉をもって神に侑(すす)める意。~金文には「天の有する大命」~など、保有の意に有を用いる。

【五】
交錯する木をもって作られた器物の形。これを数の五に用いるのは、仮借である。~五は聖数であるから、五行・五徳など名数の語は甚だ多く、千数百にも及んでいる。

【而】
頭髪を髠(こん)にした人の正面形。雨請いする巫祝(ふしゅく)の姿で、需とはその巫祝によって雨請いをし、雨を需(もと)め需(ま)つ意である。~而を接続詞・助詞・代名詞に用いるのは、すべて仮借である。

【志】
~〔詩序〕に「詩は志の之(ゆ)く所なり。心に在るを志と為し、言に発するを詩と為す」とあり、それで志を心の之往(しおう)(ゆく)する意の会意とし、~

【于】
曲がった形を作るためのそえ木。また刃の長い曲刀の形。~於・乎・為・与などに通用するのは声の仮借、~

【学】
旧字は學、もと屋上に千木のある建物の形で、いわゆるメンズハウスを意味した。~卜文にみえるメンズハウスの建物は千木形式で、わが国の神社建築と似ており、そこで秘密講的な、厳しい戒律下の生活がなされたのであろう。~教えることは、自己の学習に外ならぬことである。

「十有五」とは十を保ったままの五と解釈できるので、そのまま十五でよかろう。
「志」は心が往く。
「學」は学問と解されてきたが、白川のいうように「いわゆるメンズハウス」であれば、それに心が往くとは、たんに学問をすることではなく、自ら学び、やがて教え、と、学教ともに志すことであろう。
学びが「いわゆるメンズハウス」でなされるのなら、学びとは必然的に結社を生みだし、また結社の中でしかなされないだろう。

「志于学」とは、「メンズハウス」的生き方を目論むことであり、世間的な価値観と訣別することを覚悟することであろう。

「肉をもって神に侑(すす)める意」である「有」を用い、「聖数」である五を配したのも、その決意ゆえであったかもしれない。

わたしは十に加えること五で、世間的な価値を捨て仲間とともに生きることに心が往く。

「学而不思則罔。思而不学則殆。」とは、そのように学びあい、教えあう共同生活の中で、自然に身についた感想として納得できる。
 

子曰

先日の文章がどうにも気にくわない。
「知天命」とは何か、わからぬままに言葉を並べて、けっきょく墜落、堕落してしまった。
したり顔の文章が、気にくわない。

白川静の「字統」にしたがって、もういちど考えてみる。

子曰

【子】
幼子の象。~この字形を冠する子鄭(してい)・子雀(しじゃく)は、王子の身分にして鄭・雀を領するものを意味したが、その慣行がのちにまで及んで、字(あざな)を子(し)某といい、所領の地名にかえて、名と対待の義をもつ字(あざな)を用いた。顔回、字は子淵、淵は回水をいう。仲由、字は子路、路は人の由るところ。~子を尊称・二人称とする用法は、そこから生まれる。~

【曰】
祝詞など心霊に告げる書を収める器である※(さい)の蓋をすこしあけて、中の祝祷の書をみようとする形。曰とはもと神託・神意を告げる意である。


先生のことばを見れば、


「子」とは、王子の身分で領土を持つ者を由来とする尊称。
ただし、子淵、子路と、孔子とでは順序が違う。
大事なものが後に置かれる東南アジアの語法に従えば、子が後に置かれるほうが敬意を表す意が強いだろう。
「曰」には、たんに行為を指し示しているのではなく、言葉そのものの霊性の前にかしこまる姿勢が表されている。
音声としての言葉は、発するはしから空気に吸い込まれるようにして消えていくのに、それを聞いたものの耳奥には、それが発された時そのままの姿で、存在している。あるいは、存在しているように私たち人間は感じてしまう。
言葉が霊性を持つとは、そのようにして感得されるのだろう。
自分がかつて聴いた、記憶された言葉を思い出すとは、神秘的で神聖なものであろう。
言葉の記憶が、印刷や録音などのメディアによって、容易に大量に複製されることによって、言葉の霊性は隠蔽されるが、言葉の本質は、変わらないだろう。

 

芥川龍之介「詩集」

芥川龍之介が大正14年4月に発表した、ごく短い作品に「詩集」がある。
概要をここに記そうとすれば、全文を引用する方が短いくらいであるが、
ごく簡単に言うと、「彼」の発表した詩集は一冊も売れず、やがて札幌に運ばれ、
林檎にかける袋となって日の光に透かされて、「彼」の詩が浮かび上がる、というもの。

「蜘蛛の糸」や「杜子春」について考えたときに、曖昧なままであったことがある。
言うべきことと、言わざるべきことについて。
カンダタが口にしたのは、彼にとっては言わねばならぬことであったが、
倫理・道徳的には言ってはならぬことであった。
杜子春が叫んだのは、彼にとっては言ってはならぬことではあったが、
倫理・道徳的には言わねばならぬことであった。
芥川が描いたのは、倫理・道徳の勝利であったのか。
このふたつの作品を、道徳として読む者は、それぞれの作品の最後の場面を、
あえて意識的に無視しているとしか思えない。

「やがて犍陀多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、
悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。
自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、犍陀多の無慈悲な心が、そ
うしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、
御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。」
この「蜘蛛の糸」の最後の場面を私は、「無慈悲」であると前回述べた。
その感想は変わらないし、その読み/感想が間違っているとは思えない。

「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
 杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子が罩《こも》つてゐました。
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇はないから。」
 鉄冠子はかう言ふ内に、もう歩き出してゐましたが、急に又足を止めて、
杜子春の方を振り返ると、
「おお、幸《さいはひ》、今思ひ出したが、
おれは泰山の南の麓《ふもと》に一軒の家を持つてゐる。
その家を畑ごとお前にやるから、早速行つて住まふが好い。
今頃は丁度家のまはりに、桃の花が一面に咲いてゐるだらう。」と、
さも愉快さうにつけ加へました。
この「杜子春」の最後の場面に対して、
> 「桃の花が一面に咲いてゐる」「泰山の南の麓」の「一軒の家」は極楽なのか。
と私は書いたし、その考えはまだ捨てていない。

芥川にとって、倫理・道徳に従うことは、彼の敗北だったのではないか。
しかし、「或阿呆の一生」の「五 我」にあるような放埒の世界に憧れながらも、
この章のモデルである谷崎潤一郎のようなインモラルな作品には向かえなかった。
同作品の「九 死体」にはもっとあきらかに、芥川の性向が描かれている。
「この頃は死体も不足してね。」
 彼の友だちはかう言つてゐた。すると彼はいつの間にか彼の答を用意してゐた。
――「己《おれ》は死体に不足すれば、何の悪意もなしに人殺しをするがね。」
しかし勿論彼の答は心の中にあつただけだつた。
芥川は、生来インモラルにあこがれる性向を持ちながら、
インモラルになれなかったといえるのではないか。

そうすれば、「詩集」に描かれたような、自らの言葉が世に行われないことの幸福。
誰の目にも触れずに、日の光に、裏返しに照り輝くことは、
世間に対する敗北であると同時に、
自分が世間的な倫理・道徳に犯されないことへの賛歌であったといえないだろうか。

私が何かを考えているということ

更新がひと月以上あいてしまった。
2月10日には「リセット」があり、Yesをやった。というか自分にはあまり出番はなかったけど。
年度末をひかえて、というか、年度末の準備のために(?)あたふたと時間が過ぎていった。
何かを落ちついて考えることがなかった。
たとえば民主主義と少数派の件であるとか、人は人を教えることが好きなのではないか、そしてそれは人はお金とものを交換するのが好きだというのと同じように、生来の性質なのではないかとか、個人情報とは何かとか、ネタはあるのだが思考が続いていかない。


私が何かを考えているということは、考えている何か以外のことを私は考えていないことになる。

言葉とは排他的であるところに、その存在基盤がある。
言葉が包括的存在であれば、まさに「猫も杓子も」ということになる。

古語としての「あはれ」を辞書で引くと、九つの項目がある。
かつては「あはれ」一語で表していたものを、私たちは九つの言葉で表している。
さらに各項目に二、三個の現代語がある。
たとえば、かわいい、いとしい、なつかしいの三語が一つの項目にまとめてある。
私たちはかわいいといとしいという二つの言葉の間には、何らかの差異があると思わざるをえない。
なぜって、言葉/単語が違うから。
つまり、「かわいい」は「いとしい」(のいくらかの部分)を排除しているのである。
そして「あはれ」から「かわいい」まで言語がたどった時間は、排他的に経過していると言える。

私たちが考えるときに、言葉を使う以上、私たちが考えるということは排他的にならざるを得ないのだろう。
「ねこ」という言葉を発しながら犬を想定することはできない。

私が何らかの詩を書いたとき、その詩の周囲に、私に書かれなかった世界が、ある。
私に書かれなかった世界を背負った詩というものが、可能なのか。

言葉は私たちの中から湧き出てくるものではなく、私たちの外部に存在しているものである。
私たちはまるで水中の魚のように言葉の海中を泳ぎ、その立てた水の濃淡が、波動となって他人に伝わる。
そうした行為の残滓として、行為が行われたことの確証として、言葉が存在するなら、私はその波動をたどって、包括的世界の存在を認知できるのではないだろうか。

『杜子春』

1920年(大正9年)に雑誌「赤い鳥」に発表した子供向けの短編小説。

『蜘蛛の糸』と比べると、なんだかとっちらかっているような印象がある。
『蜘蛛の糸』では一声を発することで地獄へ真っ逆さまに落ちたが、この作品では一声を発することが落命から主人公を救う。
もちろん、一方は他人を蹴落とそうとする利己心から発し、もう一方は肉親の情から発したのであるが、『杜子春』と『蜘蛛の糸』の落差、あるいは位相差は何によって測りうるのか。

先日の論考で述べたように、『蜘蛛の糸』で芥川が描こうとしたのは、一見主人公に見えるカンダタの無慈悲ではなく慈悲ゆえ無慈悲である釈迦であった。
では『杜子春』において、芥川が描こうとしたのは、杜子春ではないとすれば何か。
私がこのように問いを措定するのは、芥川ほどの作家がたとえ児童向けの作品であったにせよ、教訓譚に終わって満足したかという前提があるからである。
杜子春を主人公に置くかぎり、教訓譚におわってしまう危険性が濃厚にある。
私たち読者は、そのように作品をとらえることで、容易に理解を終えることができるからである。
しかし、そうした理解は作品理解のほんの一面であるにすぎないことを、私たちは覚悟しておかなければならない。
真にすぐれた作品は、多面体である。
作者は、どのジャンルであれ、矛盾のない、破綻のない多面体を作りあげることに腐心する。
教訓を引き出すことなく作品を受容することが、真の作品理解につながっていく。

『杜子春』という作品において、作者芥川が嬉々として描いているのは、洛陽西門の日暮れの物憂さではないか。
「しつきりなく、人や車が通つてゐました。門一ぱいに当つてゐる、油のやうな夕日の光の中に、老人のかぶつた紗の帽子や、土耳古の女の金の耳環や、白馬に飾つた色糸の手綱が、絶えず流れて行く容子」も、杜子春の持つ物憂さが、じつは、落ちぶれた境涯に対する憂鬱ではないことを物語っているように思える。
物語は、常にその場所に戻っていく。
その場所で、「突然彼の前へ足を止めた、片目眇の老人」が一度目は「頭に当たる所」、二度目は「胸に当たる所」、三度目は「腹に当たる所」を掘れと言う。
頭、胸、腹と部位が移っていくあたりは、肉感的でもある。

三度目の示唆を断った杜子春がたどった経緯は、とくに意味のあることではなかろう。
「腹に当たる所」を掘ることを断った杜子春は、「頭に当たる所」を掘る前の彼に立ち戻るだけである。
その最初の彼に立ち戻るきっかけになったのが、一声を発することであった。
夢にうなされ、自分のうめき声で目が覚めるように、杜子春は最初の場面の自分に戻っていることに、自ら気づくのである。
立ち戻った自分は命は失いはしなかったが、地獄へ堕ちずにすんだのか。
「桃の花が一面に咲いてゐる」「泰山の南の麓」の「一軒の家」は極楽なのか。

発してはならなかった一言を発したカンダタは、釈迦の慈悲の視線を得た。
発すべき一言を発した杜子春が得たのは、一軒の家に象徴される「人間らしい、正直な暮し」であったが、それを描いた芥川龍之介は持ち前のシニカルな視線を失った。
残ったのは、夢のような中国の風景だけである。
芥川にとって、一言を発することは、地獄へ堕ちることであったのである。

『或る阿呆の一生』に描かれているのは、彼の審美眼の前に広がる情景に対して、まさに「阿呆」のように口を開けたまま沈黙している自分自身の姿ではないか。
一度手を離れたものは、二度と戻ってはこない。
二度と戻ってはこないものを描いたのが『或る阿呆の一生』という作品だった。

発してはならない一言を発すること。
発すべき一言を発すること。
どちらも地獄に暮らす結果なら、どちらをとるべきか。

芥川の結論は明快である。

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